自分が入れ替わる

先日、バスと電車を乗り継いで長野を訪れた。
先日といっても5月の末ぐらい。

友達のアトリエと彼の家が運営する西丸記念館(@稲尾)へ。
田んぼがあり、山があり、湿原があり、家の前には湖があるという素晴らしい環境。

友達のご近所さんの田植機が壊れたというので、田植えを手伝うことになった。
産まれて初めての田植え。それも手植えだった。
田んぼに素足を入れたとき、ひんやりとした柔らかさを感じた。
土の肌理が細かいなと。
柔らかい水の含んだ土に足を包まれるのは、こんなにも幸せなことなのかと満たされた。
とても心地よい時間だった。

まっすぐに植えるのはかなり難しかった。
田植えをしながら、いろいろな話を伺った。
機械で植えるよりも、人の手で植えた方が育ちやすいとか、田植えをしている田んぼでとれる米の量など。

この田んぼでとれる米の量を聞いて驚いた。
なんとその田植えした水田では200キロの米が取れるという。
さて、どれぐらいの米かを考えた。
1日1合食べたとして、1合は180グラムでと計算すると、人間は年間に60キロぐらいの米を食べる。
何と、自分の体重と同じぐらいの米を食べるのだ。
冷静に考えれば当たり前だが、こうやって実際の重量で目の当たりにするとすごい。
食べるものの重量と自分の体重を比較する。
そして、それが自分の体重と同じぐらいなのだ。
米だけで考えても、僕の体(全ての肉体)は米と入れ替わっている。
僕の体は食べ物によって常に入れ替わっていることを実感した。
自分の体は食べ物でできているんだと、改めて強く感じた。

そして、その体を作っている米に感謝した。
そして土ってありがたいな。と改めて思った。
僕が生きることを支える米を作るのが土なのだから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です